ケータイ辞書JLogosロゴ 上運天(近代)


沖縄県>今帰仁村

 明治41年〜現在の今帰仁村の字名。かつては,運天港が海上交通の中心地であったが,大正期に自動車が普及するにつれ,上運天地先の海岸を改修した新運天港(浮田港)が整備拡張された。また,大正初期仲宗根に台南製糖の工場が建設され,羽地・屋我地・古宇利などのサトウキビを搬入したため,この港は発展した。その後は,家畜の取引きやサトウキビ・黒糖の移出入に利用され,今帰仁村の経済発展の大きな原動力となった。特に,昭和50年沖縄国際海洋博覧会に向けて,1万t級の船舶が接岸可能となる港湾の拡張整備がされてからは,北部経済発展のための重要港湾として重要視されるようになった。こうした港湾を有しながら,地形・水利に恵まれないために,上運天の農業生産は振るわず,第2種兼業農家が多く,サトウキビ単作地域になっている。同54年の農用地面積4,627aうち畑地4,589a(農業センサス)。世帯・人口は,昭和45年95・380,同55年99・323。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464158
最終更新日:2009-03-01




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