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- 上地村(近世)とは
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![]() | 上地村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 上地村(近世) 王府時代~明治41年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 上地村(近世) 王府時代~明治41年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 上地村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 上地村(近世) 江戸期~明治7年の村名美濃国恵那郡のうち苗木藩領「慶長郷牒」「正保郷帳」の村高95石余,「天保郷帳」では202石余木曽川沿いの傾斜地,台地上に立地する小村中津川宿・駒場村への渡船場があり飛州街道と結ぶ中山道中津川宿,落合宿の助郷村木曽川の出水時や夜間の渡船は不可能なため,落合・中津川両宿の他の助郷村と,川北8か村(苗木藩領)は,両宿を間にし助郷不勤の紛争をした不勤の場合は木曽川を渡らない他の村から助郷人馬を雇い,その賃銭や勤返し等で,他領の助郷村より負担が大きかった神社に上地神社があり祭神は金山比古之神・金山比売之神戸口は寛政5年44戸・179人明治5年72戸・351人明治4年岐阜県に所属同7年瀬戸村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」