ケータイ辞書JLogosロゴ 狩俣(近代)


沖縄県>平良市

 明治41年〜現在の字名。はじめ平良村,大正13年平良町,昭和22年からは平良市の字。大正3年三村組合道路開通。大正13年,狩俣集落から野田山林付近に18戸を移し,野田集落が建設された。町は,宅地用敷地150坪,住宅新築用建材として松5本,耕地2反を補助した。昭和16年頃,中国東北部(旧満州)への開拓団に参加する人々も多く,戦後帰還した人や残留孤児となった人々もあった。第2次大戦中は,昭和19年10月小学校校舎が陸軍病院分院球6071部隊に接収され,児童生徒は拝所などで学習した。戦後は,混乱に乗じて密貿易に従事する人々も出て,根間昌徳は,入手した教科書や学用品を無償で提供し,また収益金から教員宿舎を建築提供するなど,戦後教育界の復興に大きく貢献した(大密貿易の時代)。昭和41年狩俣小学校創立80周年記念式典行われる。世帯・人口は,昭和45年264・1,167,同52年260・1,123。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464174
最終更新日:2009-03-01




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