ケータイ辞書JLogosロゴ 川崎村(近世)


沖縄県>具志川市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方具志川間切のうち。村名は「絵図郷村帳」に見える。嘉慶25年(1820)村の住民が,宇堅村伊知与久原に3,697坪の田を作り,また天願川原に堤井を築き,田に水を引いた(球陽尚灝王23年条)。拝所にタカミ嶽・タカミ嶽ノ殿があり,安慶名【あげな】ノロの祭祀(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。屋取に多幸地・中原・牧ノ場がある(各町村字並屋取調)。戸数・人口は,明治13年40・164(男92・女72),同36年53・312(男148・女164)うち士族34・193で,士族の戸数比率は64%であった。明治36年の民有地総反別75町余うち畑62町余・宅地4町余・山林7町余(県史20)。同41年具志川村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464177
最終更新日:2009-03-01




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