ケータイ辞書JLogosロゴ 儀間村(近世)


沖縄県>読谷村

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方読谷山【ゆんたんざ】間切のうち。村名は「絵図郷村帳」「由来記」には見えず,「中山伝信録」に宜間,「旧記」に儀間邑と見える。おそらく18世紀初頭には渡慶次【とけし】村の地内に小集落をなしていたと考えられる。康煕18年(1679)には儀間村の地頭向姓6世朝富が出ている(向姓小宗家譜/那覇市史資料1‐5)。咸豊10年(1860),読谷山間切では儀間村・宇座村・高志保村・渡慶次村が疲弊して貢租が滞った。宇座村山川筑登之が救済にあたり,褒賞された(球陽尚泰王13年条)。咸豊〜同治年間(1851〜74)高志保村内の水田の灌漑用水修復費用を,読谷山間切6か村民とともに儀間村民1人が供出している(球陽尚泰王15年条)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。戸数・人口は,明治13年95・455(男248・女207),同36年134・542(男271・女271)うち士族18・98。明治36年の民有地総反別81町余うち田4反余・畑71町余・宅地5町余・原野3町余(県史20)。同41年読谷山村の字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464219
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ