ケータイ辞書JLogosロゴ 金武村(近代)


沖縄県>金武町

 明治41年〜昭和55年の国頭郡の自治体名。金武間切金武・伊芸・屋嘉・漢那・惣慶・宜野座・古知屋の7か村をもって成立。旧村名を継承した7字を編成。美里村から金武村に入る道は,七日浜(屋嘉)の砂浜を通るため交通が不便であった。大正6年には名護へ抜ける道路(金武安富祖線郡道)の工事が着手された。なお自動車が初めて金武村に来たのは,大正7年のことという(金武町誌)。世帯・人口は,同9年1,785・7,720,同14年1,768・7,616。海外移民の先駆者当山久三は当地の出身で,第2次大戦までは,彼の影響もあってハワイ・ペルー・ブラジル・フィリピンなどへ多くの移民が出発した(同前)。沖縄戦では,昭和20年3月下旬から本格的な空襲が始まり,住民が山中へ避難するとともに,沖縄本島中・南部からの避難民も殺到した。同20〜21年各集落の復興が開始されたが,飛行場設営のため広大な耕地が接収され,行政区金武区・並里区の住民は中川区・惣慶区・宜野座区に移動した。同47年の復帰に際し,接収地はキャンプ・ハンセンとして提供施設となる(同前)。昭和21年漢那・惣慶・宜野座・古知屋が宜野座村として分離。世帯・人口は,同25年1,626・7,209,同45年2,641・9,953,同52年2,782・9,995。昭和47年恩納村との間で境界変更が行われた。基地による被害が多く,昭和47〜53年に実弾演習が原因の山火事が11件も起こり(沖縄の米軍基地),また演習による破壊は河川の氾濫,水源地・河川・海岸への赤土流出などの要因となっている(金武町誌)。同55年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464238
最終更新日:2009-03-01




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