ケータイ辞書JLogosロゴ 久貝(近代)


沖縄県>平良市

 明治41年〜現在の字名。はじめ平良村,大正13年平良町,昭和22年からは平良市の字。大正7年久松漁業組合創設。同10年久松実業補習学校設置。同14年久松青年団および処女団結成。昭和5年5月27日日本海海戦30年記念式典において,いわゆる「久松五勇士」が表彰された。内外の新聞は「遅かりし一時間」の見出しで,大々的に紹介した。しかし,史実はまる1日遅れであり,当時展開されていた国防愛国運動に一役かったものであった。同15年久松防空自警団結成される。戦時中は,空襲で墓の中や防空壕生活を余儀なくされ,農業もほとんどできなかった。大半の家が空襲で破壊されたため,戦後しばらくは墓や防空壕で生活する人々が多かった。同36年久松漁港が第1種漁港となる。同56年与那覇湾を淡水湖化する計画が具体性を帯びて明らかになったため,久貝・松原の住民は「与那覇湾を守る会」を結成し,サバニを繰り出し,海上デモを行った。翌年も大規模な海上デモが行われた。こうした漁民の反対運動の結果,同計画は棚上げとなっている。世帯・人口は,昭和45年248・1,065,同52年207・788。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464246
最終更新日:2009-03-01




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