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- 具志川村(近世)とは
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具志川村(近世) 王府時代の村名国頭【くにがみ】方,はじめ今帰仁【なきじん】間切,康煕5年(1666)伊野波間切,同6年からは本部【もとぶ】間切のうち方言でもグシカワという沖縄本島北部,本部半島の西部に位置する集落は,現在の本部町渡久地【とぐち】の県立本部高校東隣にある具志川森グスク一帯と考えられる「高究帳」では今帰仁間切具志川村として見え,高頭182石余うち田48石余・畑133石余「由来記」では本部間切具志川村と見える浜元・渡久地・瀬底の3か村は,具志川の村民が移動して村立てしたと伝える拝所に具志川ノロ火の神・神アシャギがあり,具志川ノロの祭祀(由来記)具志川ノロは渡久地村の御嶽も崇べ所とした(同前)「球陽」に「浜元村前の辺名地親雲上」の名が見え,その頃までに具志川村発祥地の台地から海岸沿いの地へ移動が完了し,浜元村と改称していたと思われる(尚穆王30年条) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」