ケータイ辞書JLogosロゴ 島尻(近代)


沖縄県>平良市

 明治41年〜現在の字名。はじめ平良村,大正13年平良町,昭和22年からは平良市の字。大正3年平良〜狩俣間の三村組合道路が開通し,平良との往還が便利になる。昭和4年,稲置原に宮古保養院設置,同16年宮古南静園と改称。昭和7年,島尻〜西原間の道路が開通。戦前の島尻では,粟・麦など雑穀のほかに米も盛んに栽培されたが,戦後サトウキビの栽培が盛んになるにつれ,雑穀や米は姿を消した。昭和34年狩俣小学校宮島分校設置。同45年,同校は宮島小学校として独立した。同48年集落北の第三紀層が露出している断層面からクジラやサメの化石が発見され,翌年市の天然記念物に指定された。同52年島尻漁港が第1種漁港となる。同53年島尻元島・ンナカガー・島尻遠見跡が,市史跡となる。世帯・人口は,昭和45年119・651,同52年280・846。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464444
最終更新日:2009-03-01




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