ケータイ辞書JLogosロゴ 瀬名波(近代)


沖縄県>読谷村

 明治41年〜現在の字名。はじめ読谷山村,昭和21年からは読谷【よみたん】村の字。沖縄戦で住民は国頭【くにがみ】地方などへ避難したが,旧地への居住許可がおりたのは,昭和22年2月渡慶次初等学校の設置が認可されたあと,同年10月16日まで遅れた。一部は,戦後そのまま米軍に接収され,現在は米軍の瀬名波通信施設として使用され,FBIS施設(海外放送情報サービス)が残されている(沖縄の米軍基地)。やせた土地での生活から,不撓不屈で,負けず嫌いな気性が育成されたといわれる。昭和56年国際連合の国際障害者年に,渡慶次小学校創立80周年の記念も兼ねて,校庭に沖縄障害教育発祥校の碑を建立。世帯・人口は,昭和34年164・952,同45年210・1,157,同52年252・1,298。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464511
最終更新日:2009-03-01




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