ケータイ辞書JLogosロゴ 沢岻村(近世)


沖縄県>浦添市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方浦添【うらそえ】間切のうち。「高究帳」では高頭195石余うち田171石余・畑24石余。金城ヨリノハナ森・同小嶽・胡屋森・同小嶽などの御嶽と,沢岻ノロ火の神・上沢岻之殿・金城之殿・ハンタノ殿・呉屋殿が見え,沢岻ノロの祭祀(由来記)。沢岻ノロは,安謝【あじや】村・内間村の祭祀も管掌した(同前)。「旧記」によれば,沢岻樋川と呼ばれる泉があり,村の前に流れる川を沢岻川と記すが,これは現在の内間川である。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。明治6年の沢岻親方の作得は20石余(県史14)。同13年の沢岻掟の役俸は米1石余・雑穀8升余,沢岻ノロの役俸は米にして3石余(県史12)。同26年の「石高村別台帳」では百姓地228石余・仕明地4石余で計232石余,惣頭は117人(浦添市史2)。戸数・人口は,明治13年184・751(男407・女344),同36年215・977(男459・女518)うち士族50・272。明治36年の民有地総反別151町余うち田4町余・畑117町余・宅地8町余・山林5町余・原野15町余(県史20)。同41年浦添村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464570
最終更新日:2009-03-01




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