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沖縄県>恩納村

 明治41年〜現在の恩納村の字名。沖縄戦では,昭和20年4月1日リーフの切れ目(谷茶大口)から,米軍が上陸し,住民は村内のナガサコ・屋之上・ウチンタ原へ避難したものの,全戸焼失した。昭和20年6月20日石川収容所に収容され,半年間の収容生活ののち,同年12月8日に旧地に戻ることができた(恩納村誌)。しかし,同30年には地内の一部が米軍の恩納ポイント陸軍補助施設として接収され,同47年の復帰以後は航空自衛隊那覇基地恩納高射教育訓練場に使用されている(沖縄の米軍基地)。世帯・人口は,昭和45年82・337,同52年195・454。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464615
最終更新日:2009-03-01




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