ケータイ辞書JLogosロゴ 当間村(近世)


沖縄県>大里村

王府時代〜明治36年の村名島尻方,はじめ島添大里間切,のち大里間切のうち方言でもトウマという沖縄本島南部の饒波【のは】川上流の平坦な盆地に位置する集落の西北に古島があり,集落跡や井戸も残っている村立ては中城【なかぐすく】の安谷屋から来た当間大主と伝える「絵図郷村帳」に島添大里間切さきはる村,「由来記」では大里間切当真村と見える康煕38年(1699)大里間切与那堂村を当間村に編入(球陽尚貞王31年条),さらに真壁【まかべ】村を当間村に編入したしかし乾隆40年(1775),人口も増加せず,農耕用水が不便なことから,集落を真壁原に移動することを申請し,許可された(球陽尚穆王24年条)旧暦8月15日の夜には獅子舞が催されるが,同治5年(1866)には,最後の琉球国王尚泰に派遣された冊封使の前で獅子舞を演じ,賞賛を受けたといわれる(沖縄風土記全集4)御嶽に当真之嶽があり,高宮城ノロの崇べ所で,稲穂祭三日崇べのとき地頭が花米・五水を供している(由来記)明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属同13年の戸数68・人口370うち男188・女182(県史20)同15年の報告では,廃藩置県以前のサトウキビ畑3,672坪・砂糖高3,671斤余(地方経済史料10)同36年仲間村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464692
最終更新日:2009-03-01




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