ケータイ辞書JLogosロゴ 仲泊(近代)


沖縄県>恩納村

 明治41年〜現在の恩納村の字名。大正期の県道(現国道58号)開通後も,自動車が普及する以前は,海陸交通の要地として栄えた。しかし,交通の中心は次第に海から陸に移った。明治初期の旅人は,馬や駕籠を使うこともあったが,多くは徒歩であった。明治末期には客馬車が次第に普及した。特に主産物の黒糖樽の運送は,荷馬車にかわった。しかし,木材・竹材・竹萱・薪類などの重量貨物は,明治・大正期まで依然として山原船に頼っていた。昭和期になると貨客とも乗合自動車やトラックにかわり,港は次第に機能を失った。沖縄戦で,住民はチンバタキに避難し,昭和20年4月5日に石川収容所に収容されたが,同年10月5日には先遣隊が入り,同21年1月16日に帰郷した(恩納村誌)。仲泊は,約160年前に植えられたというフクギの屋敷林の繁る集落であったが,戦火を被り,戦後は戦災家屋再建や道路幅の拡張などのために倒伐されてフクギの少ない集落となっている。世帯・人口は,昭和45年189・954,同52年228・1,013。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464793
最終更新日:2009-03-01




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