ケータイ辞書JLogosロゴ 仲西村(近世)


沖縄県>浦添市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方浦添間切のうち。「高究帳」では中西村と見え,高頭667石余うち田256石余・畑410石余。乾隆32年(1767)宮城川(小湾川)沿いに位置した仲西村の集落は,風水がよくないなどの理由から,首里・那覇【なは】に近い外間原に移動した(球陽尚穆王16年条)。ゲライ森という御嶽をはじめ,中西ノロ火の神・サフシキンノ殿・仲地之殿・中村渠之殿・外山之殿・崎山之殿があり,勢理客【せりきやく】村・小湾村の拝所とともに中西ノロが祭祀を管掌した(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。明治13年の仲西ノロの役俸は米にして2石余(県史12)。同26年の「石高村別台帳」では百姓地56石余・請地8斗余・仕明地6斗余で計57石余,惣頭は30人(浦添市史2)。同35年仲西尋常高等小学校開校。戸数・人口は,明治13年49・232(男115・女117),同36年55・220(男103・女117)うち士族22・107。明治36年の民有地総反別53町余うち畑45町余・宅地2町余・山林1町余・原野3町余(県史20)。同41年浦添村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464794
最終更新日:2009-03-01




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