長浜村(近世)
王府時代〜明治41年の村名。宮古島下地間切のうち。乾隆31年(1766)に佐和田村の東部を分村して成立し,与人・目差を置いた(球陽尚穆王15年条)。人頭税賦課の基準となる村位は,布上位・石中位(里積記/那覇市史資料1‐2)。「与世山親方宮古島規模帳」では,伊良部島の海垣を同島5か村に管理させ,長浜村は不か浜から佐和田村前船家まで3,271間を管理した。同帳によれば,引潮のとき下地島に渡って耕作していたという(平良市史3)。同36年の明和の大津波では多大な被害を受け,耕地を失ったため,宮古島の宮国村などに住民を移住させた(球陽尚穆王20年条)。明治12年沖縄県,同29年宮古郡に所属。戸数・人口は,明治13年164・689(男365・女324),同36年176・961(男499・女462)うち士族106・607。明治36年の民有地総反別474町余うち田1町余・畑302町余・宅地10町余・塩田1反余・山林1町余・原野157町余(県史20)。同41年伊良部村の字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464796
最終更新日:2009-03-01