ケータイ辞書JLogosロゴ 荷川取(近代)


沖縄県>平良市

 明治41年〜現在の字名。はじめ平良村,大正13年平良町,昭和22年からは平良市の字。大正8年コレラが荷川取・西仲宗根地域で発生,宮古全島に蔓延して多くの犠牲者が出た。同10年1月宮古島を訪れた柳田国男は,ぶばかり石(人頭税石)に関する伝承を採集,「海南小記」で紹介した。昭和の初期,下崎の西にある万古山に天照大神・竜宮神を祀る御嶽が開設され,第2次大戦後特に崇敬を集めている。戦前の荷川取は,平良四箇の中で最も北端に位置し,商業が発達せず,基幹産業は専ら農業であった。しかし,戦時中には相次ぐ空襲で農業はできず,食糧不足が生じる程であった。昭和44年荷川取漁港が整備され,第1種漁港となる。同47年には,字有地の砂山周辺の賃貸借をめぐってニュージャパン社とのトラブルが起き,字全体が混乱したが,この問題は白紙に戻すということで収まった。同52年から,荷川取漁港は20万円を投じて漁業関連施設が整備され,沿岸漁業基地としての役割を果たしている。世帯・人口は,昭和45年203・929,同52年248・1,024。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464855
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ