ケータイ辞書JLogosロゴ 西原村(近世)


沖縄県>大里村

王府時代〜明治36年の村名島尻方,はじめ島添大里間切,のち大里間切のうち方言ではニシバルという沖縄本島南部,大里城跡の南,丘陵性の急峻な崖に囲まれた台地に集落が立地する「絵図郷村帳」には島添大里間切城【ぐすく】村とあり,この地名は大里城にちなむ「由来記」では大里間切西原村と見える乾隆46年(1781)集落が耕地・井泉に遠いことなどを理由に,阿多伊原に移動した(球陽尚穆王30年条)咸豊6年(1856)自らの土地を村に寄付し,さらに銅銭7,000貫文余を貸与して利子を取らず,村中益になったとして,同10年褒賞された者があった(球陽尚泰王13年条)拝所には城内島添アザナノ御イビ・西原ノロ火の神・大森御イビ(二御前)・大里城之殿があり,西原ノロの祭祀(由来記)また西原ノロは,南風原【はえばる】村・与那嶺村・嶺井村の祭祀も管掌した(同前)明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属明治13年の戸数50・人口215うち男113・女102(県史20)同15年の報告では,廃藩置県以前のサトウキビ畑2,008坪・砂糖高2,007斤余(地方経済史料10)同36年大里村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464872
最終更新日:2009-03-01




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