ケータイ辞書JLogosロゴ 田舎館組(近世)


青森県>黒石市

江戸期の弘前藩の組名貞享4年の総検地後,遣に代わって新たに設置された行政区域25組の1つ津軽郡田舎庄のうち津軽平野の南東端,岩木川の中流右岸に位置する大光寺遣の一部から成立したとみられる元禄3年当時当組に所属した村は,田舎館村・孤淵村・豊蒔【とよまき】村・二ツ屋【ふたつや】村・大根子【おおねこ】村・諏訪堂村・大曲村・堀切村・畑中村・八反田村・枝川村・垂柳村・高樋村・十二川原村・境松村・袋井村・堂野前村・東光寺村・馬場尻村の本村18か村・枝村1か村の計19か村で,代官は葛西彦右衛門と言田伊兵衛(平山日記)宝暦〜明和年間頃の親村12・寄郷7,庄屋12・五人組21,手代2(弘前市史)明和元年の藩律によれば,村数19,戸数420余・人口2,940余とある寛政改革の藩士土着政策によって,組内19か村のうち,14か村に在宅藩士が居住した(御家中在宅之族村寄)寛政8年の津軽郡諸組民力消耗表(県租税誌)に,組内の面積は田方781町6反・畑方156町5反,貢米1万676俵余,給地高2,884俵,高懸畑銀納5貫50匁余,人口3,198・戸数576,馬599とある明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)には,所属村として,田舎館村・孤淵村・豊蒔村・二ツ屋村・大曲村・堀切村・諏訪堂村・大根子村・枝川村・垂柳村・堂野前村・東光寺村・境松村・袋井村・高樋村・十二川原村・八反田村・畑中村・馬場尻村が見え,ほかに枝村として大根子村に田中,東光寺村に二ツ屋・三ツ屋・高田,高樋村に長漕があげられていう明治6年の大区小区制への移行に際して,当組の村は青森県第2大区4小区に編入された現南津軽郡田舎館村と黒石市の一部に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615004
最終更新日:2009-03-01




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