ケータイ辞書JLogosロゴ 川除村(近世)


青森県>五所川原市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は,元文元年検地帳350石余(田328石余・畑屋敷21石余),「天保郷帳」375石余(うち弘前本では寛政10年改出新田293石・文化9年改出新田82石余),「旧高旧領」391石余。天和3年の広須御新田所図に村名が見えている。享保12年に広須新田川通り32か村のうちの1村として見え,村位は下,免合は六ツ成とある(平山日記)。元文元年の検地帳によれば,反別は田43町4反余・畑屋敷13町5反余,このほかに開発可能地(田)6町2反余が見える。水田耕作を主とする村である。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年西津軽郡に属す。明治初年の戸数90,村況は「四方田畑あり,土悪く畑少し」といい,岩木川対岸赤堀村(現五所川原市)との間に渡しがあった(国誌)。明治8年斎藤家敷地を借用して川除小学が開校,開校時の生徒数17(男のみ)・教員1,のち同20年に蓮川小学校を併合する(県教育史)。明治9年芦屋村を合併。同12年の「共武政表」によれば,戸数73・人口493(男243・女250),馬39,学校1,物産は米・糯・大豆。同22年川除村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615013
最終更新日:2009-03-01




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