ケータイ辞書JLogosロゴ 小金崎村(近世)


青森県>弘前市

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。村高は,「正保高帳」1,104石余,「寛文高辻帳」287石余,「貞享4年検地水帳」281石余(田259石余・畑屋敷21石余),「寛保高辻帳」287石余,「天保郷帳」187石余,「旧高旧領」325石余。集落は羽州街道沿いに発達する。「慶安2年道筋帳」には小道の1つとして,石川大道より三目内村までの道筋があり,それには「石川大道より金ケ崎村迄五町十間,金ケ崎より森山村迄四町十弐間」と見える。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「若まつ・はしもと」があり,反別は田25町余・畑屋敷4町6反余(うち屋敷6反余)の計29町7反余,このうち田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定されていた。元禄3年には大鰐組に属し,村位は中(平山日記)。水利は主として平川から取水する下り堰を利用し,村内の3町5反余が同堰の恩恵を受けた。また当村で平川から分かれる荘司川は,大鰐組・尾崎組の各村に利用され,水下反別は346町6反余にのぼる(県租税誌)。村内の寺社は,「安政2年神社書上帳」によれば,宝暦12年に再建された祇園宮があったが,これは現在地内の桜ノ木にある広峰神社を指し,祭神は素盞男命。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年南津軽郡に所属。明治初年の「国誌」によれば,戸数20,村況については,「産には田圃を専とすれとも材木を流し薪柴を采る者あり」と見える。同12年の「共武政表」によれば,戸数24,人口153(男79・女74),馬10,物産は米。同22年石川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615016
最終更新日:2009-03-01




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