ケータイ辞書JLogosロゴ 童子女松原(古代)


茨城県>波崎町

奈良期に見える地名「をとめのまつばら」と読む説や(常陸国風土記註釈など),「よちこのまつばら」と読む説もある(常陸風土記物語)「風土記」香島郡条に軽野の里の「その南に童子女の松原あり」と見えるそれによれば,昔,那賀の寒田の郎子と海上の安是の嬢子という美しい少年と少女がおり,2人は互いに相手の評判を伝え聞いて逢いたいと願うようになったある嬥歌の集いの際に2人は偶然に出会い,郎子は「いやぜるの 安是の小松に 木綿垂でて 吾を振り見ゆも 安是小島はも」と歌い,それに答えて嬢子は「潮には 立たむと言へど 汝夫の子が 八十島隠り 吾を見さ走り」と歌ったそんな歌のやりとりのあと,2人は静かに語り合うため嬥歌の場から逃れて松の下に隠れ,お互いの恋の心を打ちあけた2人は甘い語らいにひたりふけり,一夜を夢心地で過ごしたふと目覚めるとすでに夜が明け日光が明るく照り輝いていた2人はどうしてよいかわからず,とうとう人に見られるのを恥じて2本の松に化してしまったそれを奈美松・古津松とよぶという比定地は,波崎町の手子后神社が海上の安是の嬢子を祀った神社で,嬢子の本居はこのあたりにあり,童子女松原はその北方の旧若松村の海辺とする説と(新編常陸・風土記),旧神栖村・深芝村の若松の生えている白砂青松の平原を指すという説などがあるいずれにせよ,鹿島郡神栖町から波崎町にかけての海岸と考えられる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615248
最終更新日:2009-03-01




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