ケータイ辞書JLogosロゴ 恒用郷(中世)


埼玉県>東秩父村

鎌倉期に見える郷名秩父【ちちぶ】郡のうち初見は,元亨4年10月日の秩父神社拝殿再興造営用の材木を当郷に賦課した文書で「恒用郷」と見える翌月の中村次郎左衛門尉申状では,この用材賦課が郷役であったことがわかる(秩父神社文書)江戸期の山田村では桓武天皇の息恒望王の所領であったと称し,その恒望王に由来する鎮守恒持神社が鎮座し,現在も恒持祭という祭礼が行われている江戸期には恒持荘に属する村として大野原・栃谷・定峰・山田の各村が見える(新編武蔵)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615536
最終更新日:2009-03-01




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