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- 広瀬郷(古代)とは
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広瀬郷(古代) 平安期に見える郷名入間【いるま】郡のうち「和名抄」入間郡8郷の1つ訓みは比呂世郷内には式内社と伝える広瀬神社があり,社伝によると日本武尊が東征の途中,この地に立ち寄り,当地が大和国広瀬郡川合の広瀬神社の地形とよく似ていることに気づき,ここに祀ったと伝えられているが,社名は川の合流点にある広い川瀬の地形からきたものであろう「文徳天皇実録」嘉祥3年6月の条に「詔以武蔵国広瀬神社列於官社」とあり,このとき官社に列したとしている神社は現在狭山【さやま】市大字上広瀬にあるが,広瀬郷は現在の狭山市北部および西部から飯能【はんのう】市に及ぶ一帯の地域に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
広瀬郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」筑前国上座郡七郷の1つ伊勢本・東急本の訓は「比呂勢」これに由来すると考えられる地名も現在見られないので,その位置比定は容易でないただ,「延喜式」には同名の広瀬駅が見え,同書の記載順からして,同駅は隈埼(夜須,三輪両町付近か),把伎【はき】(杷木町池田付近)の中間に位置し,大宰府(太宰府市観世音寺,坂本)から豊後国府(大分県大分市)に通じたいわゆる豊後道における駅家であったとみなされるこのことから,同駅は当郷内に所在した可能性が大きく,「地名辞書」も指摘するように,当郷の位置は,朝倉町比良松付近に比定できる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」