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- 上布施村(近世)とは
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![]() | 上布施村(近世) 江戸期~明治8年の村名出雲国仁多【にた】郡のうち江戸期は松江藩領村高は元禄2年検地帳で160石余,「大数録」では190石,「天保郷帳」では223石余「雲陽誌」によると,若杉明神・八重垣大明神があり,また鉄山が「佐白【さじろ】より大原郡寺領【じりよう】村への通路左にあり」と記す明治4年島根県に所属同8年佐白村・前布施【まえふせ】村と合併して佐白村となる上布施の名は現行の仁多町大字佐白の通称地名に残る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 上布施村(近世) 江戸期~明治3年の村名更級【さらしな】郡のうち干曲川支流犀川下流右岸,川中島平の中央に位置する天保3年下布施村を分村(県町村誌)したが,郷帳類では当村の高に含められた松代藩領村高は,「慶長打立帳」261石余,「正保書上」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに241石余,「旧高旧領」244石余安政3年の領内村々家数留(県史近世史料7-1)に,家数は上布施村24・下布施村22とある明治3年布施村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」