ケータイ辞書JLogosロゴ 琴田村(近世)


千葉県>海上町

 江戸期〜明治22年の村名。下総国海上郡のうち。寛文10年からはじまる椿海の干拓によって成立した新田18か村の1つ。はじめ幕府領,延享3年から佐倉藩領,宝暦11年から再び幕府領,明和4年からは安中藩領。村高は,「元禄郷帳」1,839石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,893石余。元禄年間までは江ケ崎村下に属した。正徳3年の家数58,うち本百姓40・水呑百姓18(旭市史)。文政11年の家数118・人数603。安中藩領時には水鳥運上として真鴨を上納した。神社は八幡大神,寺院は真言宗海宝寺。明治8年千葉県に所属。明治9年この一帯は水害にみまわれ,その後近隣の村とともに田畑の地位等級の引下げ運動を起こした。同年渡辺金蔵宅を仮校舎として嚶鳴小学校が開校。同20年琴田尋常小学校と改称。明治22年嚶鳴村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615606
最終更新日:2009-03-01




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