ケータイ辞書JLogosロゴ 上作延(近代)


神奈川県>宮前区

 明治22年〜現在の大字名。はじめ向丘村,昭和13年川崎市,同47年からは同市高津区の大字。同26年一部が向ケ丘となる。同57年高津区の分区に伴い,一部が川崎市宮前区神木本町【しぼくほんちよう】1〜5丁目となる。明治24年の戸数59,男193人・女174人,昭和25年の人口701,同34年の世帯数263・人口1,217,同40年859・3,401。明治の末頃には豚・役牛・鶏が飼育され,タケノコ・クリ・モモの栽培も行った。大正の末頃からは養蚕にかわってトマト・ナス・キュウリ・カボチャ・ハクサイ・キャベツなどの野菜づくりが盛んになる。昭和15年南端の一部(現高津区向ケ丘)が軍用地に接収され,東部62部隊の演習地となる。水田では暗渠排水と耕地整理が行われ米・麦の二毛作が可能となり,同19年には食糧増産のためモモの木は切られた。同32年原間谷の水田の一部を埋め立てて木造の市営住宅が建てられ宅地化が始まる。一方昭和18年には北側台地から下作延地内にかけて市営墓地の緑ケ丘霊園の一部が完成して第1回申込みを受ける。同36年に市無縁納骨堂,同40年には市緑ケ丘霊堂が完成,公園墓地としての形態と環境を整備,現在は約59haの広さとなる。地内には上作延こども文化センター・上作延郵便局などがある。同44年上作延小学校が開校。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615841
最終更新日:2009-03-01




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