ケータイ辞書JLogosロゴ 貝野村(近世)


新潟県>中里村

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。信濃川左岸に点在する6か村の総称。姿村・本屋敷村・安養寺村・堀ノ内村・新屋敷村・宮中村からなる。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「天和高帳」468石余,「元禄郷帳」では6か村に分けて書き上げられているが,「天保郷帳」では6か村まとめて678石余。天和2年検地では,総村の反別56町余。6か村の中で本村となる村がなく,天和年間以降庄屋は6か村の各長百姓が輪番制で勤め,村ごとに小庄屋を置いて支配した。元禄5年の総村の家数52・人数665。江戸中期以降の郷帳類では,貝野村1村として扱われるようになる。地内を善光寺街道西通りが通り,寛文年間にすでに姿村が公用人馬の継立てを請け負っている。姿村と川東の土市村(現十日町市)との間に船渡しがあり,また,宮中村と小原村・水沢村(同前)との間にも渡船場があり,交通至便の村柄だった。信濃川はたびたび流路を大きく変え,島地が移動する。島地を開発するが,そのたびに流亡・起返りを繰り返した。明治7年姿に貝野小学校が開校,同9年堀ノ内に貝野小学校を移し,姿に姿小学校が開校。同12年からは中魚沼郡に所属。明治になってからは養蚕業が盛んになり,養蚕組合も作られた。明治21年の戸数334・人口1,922。同22年市制町村制施行による貝野村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7615942
最終更新日:2009-03-01




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