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- 馬場郷(中世)とは
「馬場郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 馬場郷(中世) 戦国期に見える郷名高井郡のうち天正6年の上諏訪大宮造宮清書帳によると,天文11年の所役を参考に,瑞籬5間の役銭の都合24貫250文のうち400文を「馬場之郷」が負担している(信叢2)現在の飯山市瑞穂豊の北柏尾から北原部落付付近一帯に比定される(新編瑞穂村誌)江戸期の天和3年の寺社領并由緒目録によれば,下山諏方宮があり,その付近に館に関連する地名が残ること,前記の造宮帳に,樫生郷(柏尾郷)と並んで載っている事などが,その証拠となっている千曲川東岸の沖積地と山麓からなる地で,郷域は江戸期の柏尾村の一部と北原新田村に引き継がれた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 馬場郷(中世) 戦国期に見える郷名越後国魚沼郡上田荘のうち年未詳6月28日の上杉顕定書状写に「上田庄馬場郷」と見え,郷内の地が雲洞庵領頸城【くびき】郡苅田・福光と相博されている(雲洞庵文書)天正9年2月3日上杉景勝は,「馬場之郷之内,今泉分・并小木六平分」を富里三郎左衛門に宛行った(高木文書/越佐史料)近世の雲洞村・大月村の地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」