ケータイ辞書JLogosロゴ 分田村(近世)


新潟県>安田町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ新発田【しばた】藩領,のち幕府領。村高は,慶長10年827石余(新発田藩史料),「正保国絵図」584石余,「元禄郷帳」584石余,「天保郷帳」1,126石余。地内の往還道には長さ4町26間,幅5間の家並みが続き分田宿を形成し,古阿賀野川に船着き場があった(塚野卓爾家文書)。享和年間から3軒の酒造屋が営業した。寺社は,曹洞宗玉泉寺・日枝神社。盆暮に市がたった。明治初年東町村を分村したとみられる。明治12年北蒲原郡に所属。同18年玉泉寺を仮校舎として公立分田小学校創立。同21年の戸数118・人口730。同22年社田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616051
最終更新日:2009-03-01




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