ケータイ辞書JLogosロゴ 布施保(中世)


富山県>黒部市

室町期より見える地名新川【にいかわ】郡のうち布世,あるいは布西とも書く布施川(片貝川の支流)の両岸全域に位置し,現在の魚津【うおづ】市西布施・経田【きようでん】,黒部市東布施・田家・石田に比定される由来は当地にある式内社と伝える布勢神社にちなむという寛正6年3月26日の伊勢貞親書状によると,「越中国新河郡布西保就中分之儀,自兵部少輔殿被下上使候」とあり,一色兵部少輔が当保の下地中分を希望していることが知られる(親元日記/続史料大成)文明7年には,一色長直より当保在の籾井左亮に対し,2貫文の賦役請求があった(内閣文庫所蔵賦引付/県史中)やがて永禄12年11月16日には上杉家臣河田長親が,布施保内蛇田村を庄田定賢に与えている(歴代古案14/県史中)から,当保は越後上杉氏の勢力下に組み入れられたものと知られる元亀3年閏正月22日には,さらに当保蛇田村などを河田長親が庄田惣左衛門へ安堵している(歴代古案14/県史中)なお,「新編会津風土記」に,天正の頃若松城鐘撞堂にあった応永34年8月28日識の鐘銘に「越中新河郡布世保小河山千光寺」と刻まれていたと見える(県史中)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616160
最終更新日:2009-03-01




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