ケータイ辞書JLogosロゴ 下宮地郷(中世)


山梨県>甲西町

 戦国期に見える郷名。巨摩【こま】郡のうち。府中八幡領。天正10年の武田氏滅亡で,甲州の寺社は危機に瀕するが,織田信長・徳川家康は寺社安堵の方針をとり,府中八幡も社領を基本的に安堵されたとみられる。天正10年4月日の織田信長禁制は八幡神主宛で,当郷内の甲乙人等の乱妨狼藉,往還百姓の煩い,非分の課役等の禁止を命じている(八幡神社文書/甲州古文書1)。なお,天正19年と推定される9月24日の加藤光政判物では,当郷の神主と中郡河東郷の神主の諸役が免ぜられ,同年12月15日の加藤光泰判物では,下宮地村の45俵4升の地と神主屋敷5俵4升が三輪明神へ寄進されている(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616365
最終更新日:2009-03-01




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