ケータイ辞書JLogosロゴ 下宮地村(近世)


山梨県>甲西町

 江戸期〜明治8年の村名。巨摩郡のうち。西郡筋に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年幕府領,延享3年一橋家領,寛政5年からは幕府領(市川代官所など)。村高は,「慶長古高帳」113石余(ほかに三輪大明神領16石余),寛文4年検地141石余,「宝暦村高帳」143石余,「天保郷帳」159石余,「旧高旧領」も同じで,うち三輪社領16石余。反別は,慶長6年検地では田1町余・畑10町余・屋敷1反余で荒地が11町余と多く,寛文4年検地では田3反余・畑20町余・屋敷1反余。文化初年の戸数27・人口105(男54・女51),牛馬なし(国志)。村内を駿信往還が通り,これに沿って街村が形成された。入会地は高尾山青野口で,他の7か村と入会う。用水は漆川から分水された下宮地堰を利用。名主役は長百姓の交代制によって勤務。神社は三輪明神があり,毎年2月2日には引舟祭が,4月始卯日には上宮地の山宮との間に甲州御三幸の1つの西御幸が行われにぎわった。ほかに御崎大社がある。寺院はない。三輪神社の神官平川昌信は平田派の国学者であった。また神主足達伊勢之助は文政9年足達手習所を開いた(甲西町誌)。明治4年山梨県に所属。同6年鮎沢・古市場の2か村とともに鮎沢村に鮎沢学校を開設。同7年の耕地面積は田9反余・畑11町余,産物は米・麦・小麦・大豆・小豆・粟・蕎麦・胡麻・煙草・藍・野菜・柿・繰綿などで,生産額では麦と繰綿が全体の約70%を占める(同前)。同8年大井村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616366
最終更新日:2009-03-01




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