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- 栗林(中世)とは
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栗林(中世) 戦国期に見える地名筑後国御井郡のうち高良山吉見岳の北側山麓に位置する地名の由来について「高良玉垂宮神秘書」には「栗ヲゝク立タルニヨリ,其ママクリハヤシトハ名付ケタリ」とある同神秘書には「エフクテン四十二丁」うち「クリハイシ八丁」とあるが,天正7年6月26日の高良山大祝領坪付(鏡山文書/県史資料7)には「三井郡江福田之内 栗林一所七町」と見える江福田とは衣服田のことで,大祝装束料免田に由来するものであろうさらに同神秘書によれば,栗林の正覚寺は高良山十五坊の1つで学頭の在所とされ,また栗林家は高良社祭祀集団としての「十二人ノ乙名」を構成し,御神幸祭では御鉾役を分担するほか,小野・厨両家とともに「三奉行者」として寺社家の儀式を取り計らう習わしであったという現在久留米市山川町の北栗林・南栗林に当たる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
栗林(中世) 戦国期に見える地名安芸国佐西郡のうち天文10年正月29日の大内氏奉行人連署書状に「栗林夜灯免」とあり,当地に大願寺の夜灯免があった元亀3年2月26日の大願寺円海厳島社領付立によれば,当地の8貫は大願寺の夜灯免として寄進されており,毛利輝元の安堵を得ている文禄4年11月28日の大願寺領薪調人夫下行飯米注文には「栗林衆 十六人 六日分〈飯米七斗弐升 九十六人役〉」と見え,文禄5年12月16日の大願寺宥円厳島社造営領内引方付立によれば,当地は厳島社造営領から除かれている(大願寺文書)江戸期には大栗林村・小栗林村に分村し,現在の大竹市栗谷町大栗林・栗谷町小栗林に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
栗林(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」