ケータイ辞書JLogosロゴ 山口郷(中世)


岐阜県>武芸川町

鎌倉期から見える郷名美濃国武儀【むぎ】郡のうち嘉元4年6月12日付の昭慶門院御領目録に初見(京都大学所蔵古文書集)同目録によれば,寺領にあらざる荘々のうちに「美濃国山口郷」が見え,仲成朝臣・二条僧都の知行とされているこの間の事情は不明だが,鎌倉最末期には美濃佐竹氏が領していた「美濃国山口・弾正庄」等の地頭佐竹弥六光基が,元弘3年足利尊氏の軍に加わっており,以後大永年間まで佐竹氏一族が相伝(秋田藩採集文書)この間郷は東・西に分かれていたが,東・西両郷とも応永年間に一時佐竹氏より召し上げられ,同9年相国寺に寄進されたその後東山口は佐竹氏に還補されたが,西山口については相国寺と佐竹氏との間で永く相論が続いた(蔭涼軒日録,長享2年5月18日条等)江戸期の地誌類によれば,東山口は生櫛【いぐし】・横越【よこごし】・極楽寺・笠神・大矢田・曽代【そだい】・志摩(以上美濃市)・広見(関市),西山口は跡部【あとべ】・高野・八幡【はちまん】・小知野【おじの】・平【ひら】・宇多院【うだいん】・谷口(以上武芸川町)・岩佐・中洞【なかほら】(以上美山町)の一帯とされているこの武儀川流域の地は宇多弘見荘の比定地でもあるが,両者の関係は未詳なお,跡部の「恵利寺文書」には「西山口方之内跡部」,八幡の「八幡神社文書」には「西山口神宮寺」と見えている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616517
最終更新日:2009-03-01




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