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- 津積郷(古代)とは
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津積郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」尾張国海部【あま】郡十二郷の1つ8世紀中頃の貢進仕丁歴名帳に「甚目連乎佐美年廿二 尾張国海部郡津積郷戸主甚目連久良為戸口」とある(正倉院文書/寧遺中)郷域については,「地名辞書」の現在の名古屋市中川区富田町戸田・万場・長須賀・前田・伏屋の辺りに比定する説,「地理志料」の包里【かのさと】を津積の転じた地名とみて,中川区一帯から蟹江町東部に至る地域とする説がある「和名抄」の記載順からみると,当郷は中島郷の南に位置したらしい |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
津積郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」忍海郡四郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く「障【つつ】み」と関係し,「崖」や「自然堤防」の地名化したもの,あるいは,川の曲流,山ひだなどで包まれた地か(古代地名語源辞典)「和名抄」以外には見えない「地名辞書」は現新庄町笛吹とするが,「堤」に関係するとすれば,「十三」はつつみとも訓めるので,葛城川の川底よりも低地にある現御所【ごせ】市北十三・南十三付近に比定できる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」