ケータイ辞書JLogosロゴ 妙興寺村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」では明光寺村として987石,「天保郷帳」でも987石,「旧高旧領」1,529石余。「寛文覚書」に概高1,526石余,田20町余・畑75町余,家数128・人数788,馬21。源敬様御黒印写によれば,元和6年に武野氏が170石,寛永12年に熊谷氏が170石,同16年新井氏137石・丹羽氏85石・村上氏85石・青山氏40石をそれぞれ給知(一宮市史本文編上)。「徇行記」では岩田数馬ほか23人の給知,家数210・人数790,馬2。農業の傍ら木綿買や繰綿商・大工・木挽職をする者がいた。岐阜街道が村内を150間通るため,片側の道作人足を出すことになっていた。嘉永4年の村田畑作物書上によると畑76町余のうち生綿20町余,粟・大豆23町余,芋9町余,稗9町余,むくり黍5町余,茄子1町余,牛蒡6反余などが植えられている(同前資料編9)。「尾張志」は牛蒡を特産物として,「太くして長からす其性やはらかにあく少く甘き事他産の及ふ処にあらす」という。尾州濃州紺屋惣帳によれば,弘化5年に紺屋が1軒(名古屋叢書11)。寺院は,臨済宗妙興寺・真宗大谷派徳法寺,ほかに観音堂・十王堂があった。妙興寺の塔頭に耕雲庵・西住庵・種玉院・太陽庵・清寥庵・来薫庵・桂昌庵・瑞芳庵,なお,同寺は丹羽郡島宮村に寺領200石を有していた。神社は,「寛文覚書」に白山権現と末社7社とあり,「徇行記」では,白山とその末社に神明・牛頭天王・春日大明神・天神を記し,「寛文覚書」の7社のうち3社は廃絶したのではないかとする。天保12年の村絵図では天王・白山・山王・権現・三十八所社を記し,現在は白山社・三十八所社・日吉社(山王)・東市場社・北浦神社が確認できる。明治22年妙興寺村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7616827
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ