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- 五ケ荘(中世)とは
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![]() | 五ケ荘(中世) 鎌倉期~戦国期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 五ケ荘(中世) 戦国期に見える荘園名摂津国島下郡のうち忍頂寺五ケ荘・忍頂寺五ケ村とも称した年不詳7月23日の高山右近書状の宛所に「五ケ庄百姓中」とあるのが初見で,忍頂寺領たることを認め,諸成物などを先々のように寺納すべきことを命じている永禄11年12月24日の室町幕府奉行人連署奉書の宛所には「五ケ村 所々名主百姓中」と見えるが,同じく忍頂寺の散在所領の記事であることから,「五ケ村」とも称されていたことがわかる(寿命院文書/茨木市史)なお年不詳9月26日の原源左衛門尉能重書状(蜷川家文書)が「寺辺村,音羽村,銭原村,佐保村,泉原村 名主百姓中」に宛てられており,この5か村を荘域としたものと思われる現在の茨木【いばらき】市銭原・泉原・佐保・上音羽・下音羽・忍頂寺などを含むあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」