ケータイ辞書JLogosロゴ 倭文村(近代)


兵庫県>三原町

 明治22年〜昭和32年の三原郡の自治体名。倭文村・庄田村・長田村・高道村が合併して成立。倭文委文組・倭文流組・庄田土井組・庄田庄田組・庄田安住寺組・長田組・高道神道組・高道高組の8大字を編成。明治24年の戸数699,人口は男2,083・女1,894,寺院4,学校1。世帯数・人口は,昭和10年579・2,839,同25年628・3,440。役場を庄田庄田組に設置。明治35年に村駐在所を設置。大正11年淡路鉄道開通に伴って,長田駅が設置された。昭和5年倭文郵便局を設置。第2次大戦末期から戦後にかけて,庄田土井地区で亜炭の採掘が行われたが,まもなく中止された。昭和32年緑村・三原町の各一部となり,庄田土井組・庄田庄田組・庄田安住寺組・長田組・高道神道組は倭文土井・倭文庄田・倭文安住寺・倭文長田・倭文神道と改称して緑村の大字に,倭文委文組・倭文流組は組をとり,高道高組は倭文高と改称して三原町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617165
最終更新日:2009-03-01




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