ケータイ辞書JLogosロゴ 土野荘(古代〜


兵庫県>但東町

 平安期〜戦国期に見える荘園名。出石郡のうち。下鴨(賀茂御祖社)領。「賀茂社古代庄園御厨」に「但馬国土野庄・田地五十町」とあり(大日料3-1),寛治4年に官符によって立券された。鎌倉期,弘安8年の但馬国大田文には「土野庄 七拾町〈公文土野源太家俊跡 御家人役勤仕職,近年為本所被抑留之〉」と記す。また,仁治年間には下鴨社禰宜祐継と同社氏人の「土野庄下司職」をめぐる相論が朝廷で審理されており,当荘下司職は下鴨社禰宜が代々進退したとみられる。本所鴨社のために在地武士の勢力は当荘では一般に振るわなかったらしい。南北朝期にも下鴨社殿上棟料の酒が当荘に課された徴証があり,室町後期に至っても「但馬国土野庄公用」は毎年4,000疋が上納されていた。応仁の乱中には社納は一時途絶したが,延徳年間には若干の直納物があったという(賀茂社諸国神戸記貞和4年廻文/大日料6-11,京都御所東山御文庫記録長享3年鴨社禰宜信祐注進状・祐宣書状/大日料8-27)。なお,文明16年12月13日付一宮神床続祐売券では「但馬国出石郡土野庄之内下地」3反が売却され,永正13年8月4日付竹元辰久寄進状では「但馬国出石郡土野ノ庄之内一宮太上田」が出石神社に寄進せられている(神床文書/県神社誌)。近世の「校補但馬考」では「ハノ」と訓んで,上野・日野辺・桐野・寺坂・水石・畑の諸村を当荘としている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617184
最終更新日:2009-03-01




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