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- 資母郷(古代)とは
「資母郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 資母郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」宇智郡四郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く丹包紙の裏に書かれた天平勝宝5年6月15日以前の貢進仕丁歴名帳(正倉院文書/大日古編年25)に「田井伊美吉男足年十一〈大倭国宇智郡資母郷即戸口〉」と見えるのが初見「地名辞書」は「今五条町及坂合部村(吉野川北岸)の中なるべし」とする平安末期に坂合部郷と称された地域と同じではなかろうか |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 資母郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」越前国大野郡六郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く下郷にもつくる平城宮出土の貢進物付札木簡に「□(越カ)前国大野郡下郷生荒人」「五斗三年二月」という墨書が見える(平城宮出土木簡概報12)現在の大野市北西部で,近代の旧下庄村付近に比定する説があるまた,「名蹟考」は旧上庄村の下郷を資母郷の遺称かとする... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 資母郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」吉野郡四郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠く賀美郷・那賀郷がそれぞれ吉野川の上・中流域に比定されることから,吉野川下流部に位置すると考えられ,それにちなむ地名か郷名は「和名抄」以外に見えない現在の大淀町・下市町付近に比定されるなお「地理志料」は丹生川流域に比定する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 資母郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」伊勢国河曲【かわわ】郡八郷の1つ訓は「之毛」比定地未詳資母は「下」で,旧鈴鹿川(柳―土師―若松を貫流)の南を指すかあるいは鈴鹿市玉垣町あたりに該当するかなお,江戸期においても当地一帯を滋母郷と総称することもあった(勢国見聞集)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 資母郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」播磨国多可郡六郷の1つ高山寺本に「国用下」とある当郷は「風土記」の都麻里にあたる杉原川流域の地で,現在の西脇市中北部に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」