ケータイ辞書JLogosロゴ 原村(近世)


徳島県>羽ノ浦町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ那東郡,寛文4年からは那賀郡のうち。徳島藩領。村高は,寛文4年の高辻帳では226石余,享保元年の高辻帳と天明7年の高辻帳も同高,「天保郷帳」で273石余,「旧高旧領」では395石余うち蔵入地45石余・賀島弥右衛門知行339石余・坪田増之助知行9石余。「阿波志」によれば,戸数36戸・人数153,水陸田24町1反余。神社は明治3年改称の皇子神社,祭神は伊弉那岐命。寺院は薬師庵。寛政年間までは薬王寺と称し,縁日には近郷近在からの人出でにぎわった。現在庵に残る磬に「阿州那賀郡原村薬王寺什物安永四乙未年十一月中若物中願主慈本」の銘がある。本尊の薬師如来像は昭和55年町文化財に指定された。天文10年の作で,木造檜一木造り,像高40.5cm,銘文のあるものとしては県下で12,3番目に古い像といわれている。また庵の境内には,応仁の乱の際,京より土佐中村に難をのがれた一条家の家臣佐田本掃部正の孫,定本陳平が安永7年に建立した石灯籠がある。なお古記録には報恩寺などの名も見られるが,はるか以前に廃寺化したものと思われる。天明年間には富本和太郎が寺子屋教授を行っていた(村史平島)。明治4年徳島県,同年名東【みようどう】県,同9年高知県を経て,同13年再び徳島県に所属。「那賀郡村誌」によれば,田31町3反余・畑1畝。明治9年調の戸数39・人数221(同前)。明治22年平島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617790
最終更新日:2009-03-01




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