ケータイ辞書JLogosロゴ 羽床郷(中世)


香川県>綾南町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。阿野郡のうち。中世には羽床郷内に祇園社感神院領萱原神田や善通寺誕生院領萱原村が存在し,それらに関する史料に郷名が登場してくる。建久8年2月の讃岐国司庁宣(八坂神社文書/鎌遺900)によれば,羽床郷内の荒野6町が八坂神社執行玄有に分賜されており,のち4町を加給されて萱原神田10町となった。建長8年3月日付の讃岐国司庁宣(祇園社記御神領部15/鎌遺7978)では「感神院神田羽床郷内荒野」「当郷内萱原神田拾町」と見える。なお,この庁宣によれば,荒野四至は,東と北は陶保,南は久美山嶺,西は滝宮領と定められている。その後,建治2年萱原神田が羽床郷司による違乱を受けたことが知られるが(青木鉄太郎氏所蔵文書/鎌遺12522),この時の郷司は綾氏系図(続群7上)に登場する讃岐藤原氏の嫡流羽床氏のことであろう。なお,同系図の羽床氏の始祖藤原章隆の子資隆には「羽床庄司周防守」との脚注があるが,これは羽床郷司の誤りであろう。このほか,永享12年5月15日の年紀がある法道寺蔵光貴寺金剛盤刻銘に「讃岐国綾郡羽床郷」(新修香川県史),永禄10年8月吉日付の北監物丞宛て板倉亀石大夫武忠神宮御師道者職沽券に「羽床之郷中之我々持分之旦那一円」(来田文書)と見える。また,年未詳(康永年間か)善通寺寺領目録(善通寺文書/新編香川叢書)に「羽床郷萱原村〈誕生院領〉」とある。なお,天正5年の元吉合戦に関連すると思われる年未詳4月付の御郷勘兵衛尉茂政覚書(萩藩閥閲録)に,「讃岐国於堀江口,長尾・波伊香衆との合戦」とあって,中世を通じて「ハイカ」とよまれたらしい。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617836
最終更新日:2009-03-01




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