ケータイ辞書JLogosロゴ 朝田(中世)


福岡県>吉井町

 戦国期に見える地名。筑後国生葉【いくは】郡のうち。永正5年と思われる8月16日,菊池氏の重臣城重岑が「生葉郡之内朝田百町」を含む橘田・やかたの村・古川の計176町を五条氏(良興と思われる)に与えた。さらに翌17日には,同じく重岑の名で三井郡内222町・上妻郡33町が加給されている(以上,五条文書/県史資料4)。星野伯耆守が妙見城に籠って大友氏に背いた翌年のことであり,菊池氏は五条氏が星野氏と協力して大友氏にあたることを期待していたと思われる。しかしこれに対抗する大友義永も永正5年11月3日,草野太郎と五条良邦に上筑後の所領を与えており(草野文書・五条文書/同前),そのせいか,五条良興の子良邦は大友氏の味方についている。その後勢力を拡大した大友義鑑は天文5年8月11日,朝田100町(由原神領30町分は除く)を問注所加賀守親照に預け,「朝田之内松尾」に井上城を築かせた(問注所文書/大友史料17)。のちに「田籠村松尾城」といわれる地域は,戦国期までは朝田のうちであり,30町の豊後由原神領が含まれていたことが知られる。なお,文禄4年12月1日小早川秀俊が深野景弘分として与えた知行目録には,「朝田村」25石と見える(萩藩閥閲録164)。この頃には「田籠村」の名も史料に確認できるので,朝田から朝田村と田籠村の一部が成立したと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7617977
最終更新日:2009-03-01




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