ケータイ辞書JLogosロゴ 五郎丸組(近世)


福岡県>久留米市

江戸後期の組名久留米藩領における広域行政区画である大庄屋組の1つ筑後国御井郡のうち古くは鰺坂組とも称した当組に所属する村は,文化4年には下西鰺坂・上東鰺坂・下東鰺坂・赤川・荒瀬・宮地・国分寺・五郎丸・高野・小森野・櫛原・市ノ上・枝光・(東)野中・(西)野中・東久留米の16か村,ほかに下西鰺坂村散田分・下西鰺坂村新散田分・東久留米村広又分の名が見える(農政農民史料集)宝暦年間頃の「在方諸覚書」によれば,所属村は15か村,古高1万4,692石余・役高1万2,177石余文化4年の石高(内検高)は本地1万4,002石余・開方749石余,反別は本地980町余(うち田429町余・畑田124町余・畑411町余・居屋敷15町余),この物成5,080石余,開方104町余(うち田14町余・畑田27町余・畑63町余),この物成411石余(農政農民史料集)宝暦7年の竈数1,049(御旧制調書/久留米市史)大庄屋は,寛永19年から天明8年まで鰺坂組の佐々木氏(有馬泰明文書),その後五郎丸組を田中氏が立てる(矢賀部家文書/久留米市史)現在の小郡【おごおり】市・久留米市の各一部にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7618026
最終更新日:2009-03-01




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