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「吉田荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

吉田荘(中世)


鎌倉期~戦国期に見える荘園名豊前国京都【みやこ】郡のうち御所ケ岳・馬ケ岳連山の北山麓から長狭【ながお】川の中流域に広がる下稗田の大分八幡神社に伝わる「大分社略伝...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7618122]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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吉田荘(中世)

鎌倉期~戦国期に見える荘園名若狭国遠敷【おにゅう】郡のうち鳥羽川と熊川の合流点の西に立地当荘の南の三宅荘も長講堂領であったから,吉田・三宅荘とまとめて呼ばれることが多い建久2年10月の長講堂領目録に「吉田・三宅庄」とあり,元三雑事などを負担しているのが初見で,後白河法皇建立の長講堂に寄せられた荘園の1つである(島田文書)ついで建治3年7月に中原氏女は争論の相手である鳥羽国茂が長講堂領支配の当荘公文職にありながら,農民から数十石の年貢を責め取ったと批難している(東寺百合文書京)文永2年11月の若狭国惣田数帳案には新荘のうちに吉田荘18町98歩があり,元亨年間頃の朱注に「地頭得宗御領,公文御家人伝領也」と記す(京府東寺百合文書ユ)建武3年8月29日には後醍醐天皇方の軍勢と足利尊氏方の軍勢が「吉田河原」で戦っている(明通寺文書/小浜市史社寺文書編)応永14年3月の長講堂領目録にも「若狭国吉田・三宅庄」とあり,聖光院法印仲祐が知行していた(集)永享6年2月22日に庭田重有から「若狭国吉田・三宅庄」などについて注進してほしいと依頼された伏見宮貞成親王は,長講堂領で後小松院の御所侍が当知行している地を注進するのははなはだ不審なことだとしているが(看聞御記),これは同年3月6日に将軍足利義教のとりはからいによって,この地を後花園天皇(貞成の子)の乳人である春日局に与えるための注進であった(同前)吉田・三宅は後小松院の時にも乳人に与えられていたが(同前永享6年3月6日条),そののちも天皇の乳母が領家職を持っており,文明10年11月19日には「内裏御乳人御局雑掌」が「内裏御料所若州吉田・三宅」の代官籾井の被官大木源左衛門が年貢を納入しすぎたことを口実として,年貢を無沙汰していると訴えている(政所賦銘引付/室町幕府引付史料集成上)文亀2年5月14日には「禁裏御料所上吉田并三宅領家職」の段銭を免除するよう武田氏に働きかけたとあり(実隆公記),吉田荘は上・下に分けられるようになった文亀2年5月20日条には「吉田村」とも書かれている三条西実隆は永正元年10月13日と同3年10月12日に吉田年貢のうち2俵を拝領したとも見えている(同前)この頃長講堂衆も吉田荘の年貢配分を受けていたが,永正元年12月12日に彼岸布施料50疋を後戸方に付せられたとして,長講堂伝奏の中御門宣胤に訴えている(宣胤卿記)天文21年3月21日には若狭を追われた粟屋右馬允などが近江から若狭に入り,吉田などを焼き払ったが,武田氏に撃退された(羽賀寺文書羽賀寺年中行事/小浜市史社寺文書編)弘治2年6月の明通寺鐘鋳勧進の時に上吉田村と下吉田村はそれぞれ130文・68文を寄付している(明通寺文書/同前)江戸期には上吉田村・下吉田村となった

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

吉田荘(中世)
 平安末期から見える荘園名...

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吉田荘(中世)
鎌倉期~戦国期に見える荘園名豊前国京都【みやこ】郡のうち御所ケ岳・馬ケ岳連山の北山麓から長狭【ながお】川の中流域に広がる下稗田の大分八幡神社に伝わる「大分社略伝記」では,下稗田・前田・上稗田・上田・下久保・平尾・津積・西谷・大谷を吉田荘とするこのうち長狭川北岸の稗田近辺には稗田荘も所在した近衛家領建長5年の近衛家所領目録(近衛文書/鎌遺7631)に,荘務本所進退の所領として見えるもと高陽院領で藤原顕氏の奉行元応2年藤原氏の氏寺興福寺の教円が豊前吉田荘で論語集解を書写した(蓬左文庫保管論語集解奥書)のもこの関係からであろう地頭職は,いつのころからか北条氏一門の領するところとなったと思われ,観応2年鎮西管領一色道猷は北条家時跡地頭職を宇都宮(佐田)公景に与えている(佐田文書/大日料6‐14)また,文明2年に保弘有が吉田荘領家内14町1反45代を嫡子長王丸に譲渡しており(萩藩閥閲録45‐2),はやく吉田荘では下地中分が実施されていたものと思われる応仁・文明の大乱の際,豊前守護大内政弘が西軍として上京している間に,東軍に呼応する大友親繁や少弐政資が豊前に手をのばした文明6年大友氏より佐田河内守が吉田荘内70町を「御本給」として安堵されているが,この時期佐田氏嫡流の忠景が大内氏に従っていたことと関わりがあろう(佐田秀穂文書/大分県史料8)その後,再び大内氏による吉田荘内の知行宛行が行われ,梅月弥五郎跡野原分8町7反45代が恵良盛綱に(天文6年),提村(津積か)20石地が末武直氏に(天文9年忠氏に譲与),天文17年には大神秀盛(恵良氏か)に5町6反35代が与えられた天文22年には松本志摩守に給せられていた吉田荘の大分宮領内保恩寺々領5反・供僧免田2反半を秀盛の知行とし,住僧の任免権を付与している(萩藩閥閲録82,恵良文書/大分県史料8)弘治4年右田隆俊は内藤氏に押領されて不知行となっている久保・吉田荘の70石足を毛利氏に注進したが,これは陶晴賢が大内氏を滅した時以来のものであろう(防長寺社証文22)永禄8年豊前北部の三ケ岳に進出した大友氏の軍勢のもとで,田原親宏は吉田荘内の地を被官厚東氏に与えたが(後藤文書/大分県史料10),大友氏の後退に伴い不知行となった可能性が高いなお,建久の「豊前国図田帳写」に「吉田得光三十丁〈起請田七丁五反〉」とあるが(到津文書/鎌遺926),この吉田は企救【きく】郡吉田保のことであろう...

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吉田荘(中世)
 南北朝期~戦国期に見える荘園名...

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吉田荘(中世)
 南北朝期から見える荘園名...

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吉田荘(中世)
 鎌倉期からみえる荘園名...

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吉田荘(中世)
平安末期~戦国期に見える荘園名播磨国加東郡のうち保延元年10月18日の大和守行元田地寄進状写に「寄進 播磨国清水寺灯油䉼田事,合伍町者〈在吉田本庄〉」と見え,吉田本荘にある五町の地が大和守行元から清水寺に寄進されている(清水寺文書)当荘はすでに平安末期には本荘・新荘に区分されていた「民経記」貞永元年5月28日蔵人広橋経光を召して吉田荘についての訴えのことを問うている(大日料5‐7)これ以後,本荘については,延徳3年6月24日の室町幕府奉行人意見状によれば,元徳元年12月23日蓮華清浄寺雑掌と二条資持が吉田本荘内河南郷をめぐって相論し,康永2年10月19日その裁許状が発給されている(室町家御内書案/集覧27)一方,新荘については,永享2年6月8日吉田新荘の役夫工米・反銭が大覚寺門跡雑掌の訴えにより免除されており,新荘は大覚寺領であった(大覚寺文書)文安2年9月2日山名宗全は但馬妙見社に「播磨国賀東郡吉田新荘地頭職〈上月勘解由左衛門尉跡〉」を寄進し,文明16年3月28日には山名政豊が新荘地頭職を安堵している(日光院文書)「荘園史料」は,吉田本荘を東条町中部,吉田新荘を東条町南西部から小野市北東端に比定している...

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吉田荘(中世)
平安末期~戦国期に見える荘園名播磨国加東郡のうち保延元年10月18日の大和守行元田地寄進状写に「寄進 播磨国清水寺灯油䉼田事,合伍町者〈在吉田本庄〉」と見え,吉田本荘にある五町の地が大和守行元から清水寺に寄進されている(清水寺文書)当荘はすでに平安末期には本荘・新荘に区分されていた「民経記」貞永元年5月28日蔵人広橋経光を召して吉田荘についての訴えのことを問うている(大日料5‐7)これ以後,本荘については,延徳3年6月24日の室町幕府奉行人意見状によれば,元徳元年12月23日蓮華清浄寺雑掌と二条資持が吉田本荘内河南郷をめぐって相論し,康永2年10月19日その裁許状が発給されている(室町家御内書案/集覧27)一方,新荘については,永享2年6月8日吉田新荘の役夫工米・反銭が大覚寺門跡雑掌の訴えにより免除されており,新荘は大覚寺領であった(大覚寺文書)文安2年9月2日山名宗全は但馬妙見社に「播磨国賀東郡吉田新荘地頭職〈上月勘解由左衛門尉跡〉」を寄進し,文明16年3月28日には山名政豊が新荘地頭職を安堵している(日光院文書)「荘園史料」は,吉田本荘を東条町中部,吉田新荘を東条町南西部から小野市北東端に比定している...

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西暦2024年(平成36年)
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リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

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不用品回収
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今日を知る

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『メーデー』

メーデー(MayDay:5月の日)は世界各地で毎年5月1日に行われる祭典のこと。祝日としている国も多いが、日本では未だ祝日にはなっていない。1886年のこの日カナダで起きた労働者のストライキを起源として、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう日でもあり、企業によっては、労使協定によりメーデーを会社の制定する休日としているところもある。

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