前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 松武名(中世)とは

「松武名(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

松武名(中世)


鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名松竹名ともある豊後国大分郡稙田【わさだ】荘のうち所在地未詳「弘安図田帳」に,稙田荘325町2反内として,「松武十六町二反半...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7618345]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
松武名(中世)

鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名豊後国大分郡阿南【あなみ】荘のうち所在地未詳現庄内町大字畑田・長野・高岡・中・庄内原・西・櫟木【いちぎ】・東長宝・西長宝・東大津留・南大津留・西大津留・北大津留・小挾間および挾間町西部にまたがる範囲のうちと考えられる「弘安図田帳」に,「松武名三十六町二反内」として,当名と吉藤名・松永名・六郎丸名・則末名・安藤名・武宮村・森村・宗門名・石丸名と内訳を列挙して見えるのが初見面積は30町とも39町ともある(群類ほか)当名の地頭は,松尾弥三郎(三浦本は惟基)跡,当知行未分明とある松武名は,豊後大神姓松尾惟隆の領有するところであったが,惟隆を祖として輩出する小原・大津留・武宮・橋爪氏に所領を配分するに当たり,新名が成立したため,複雑なものになったものと考えられる松武名は,永仁6年5月9日の権律師円全御初拝神宝御供饗料米請文によると,由原宮(賀来社・現柞原宮)の大神宝初拝御供料米を負担するが,松武名が属す阿南荘は,寛喜2年大神宝料所として一円不輸神領となっていることによる図田帳賀来荘平丸名の領家と地頭職を兼ねる山法師備後僧都幸秀は,阿南荘の雑掌をも兼ねていた幸秀の死によって,阿南荘雑掌は弟子等に付属せしめられ,松武名雑掌は社僧円全竪者が相伝し,正慶元年正月11日の由原宮年中行事次第に所役を懈怠したと見える(柞原文書/県史料9)室町期には疋田秀利によって知行され,6か年の相論を経て,享徳2年8月大神宝御供米料所松武本名中尾の内,井口分5斗5升の半分が当知行分として社納されたまた大神宝会用物料として,39文の段別銭を松武名30町分について疋田利秀が催促している同4年正月には,由原宮御八講用途として,松武本名半分の当知行分役年300文が疋田秀利から社納されている(柞原文書/県史料9)年未詳5月23日,大友義鎮は,松武名100貫分を京都瑞峯院領として寄進するとともに,諸点役を停止し,検断不入の地としているさらに,年未詳8月11日にも,「松竹名之内森左京跡三貫分之事,同前令寄附候」と瑞峯院に寄進しているこれを最後に松武名の名は見えなくなる松武本名の所在地は未詳であるが,「雉城雑誌」の甲斐田村松永大明神の項に,松武大明神とも称し,松武氏の霊を祀るというまた,同村御霊社の項には,松武氏の嫡子某が馬場において落馬し,死亡したため此地に祀るともあり,同村宝生庵は松武氏の菩提寺とも述べている(史料集成)これらの事項は直ちに信用し難いが,松武本名の所在地比定の1つの手がかりにはなるであろう

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

松武名(中世)
鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名松竹名ともある豊後国大分郡稙田【わさだ】荘のうち所在地未詳「弘安図田帳」に,稙田荘325町2反内として,「松武十六町二反半,松尾弥次郎惟泰跡,知行未分明」と見えるのが初見松武名は隣接する阿南荘内にも松武名36町2反があり,地頭は松武本名8町5反分については「松尾弥三郎跡,当知行未分明」となっているこの点について,渡辺澄夫は「二豊荘園の研究」で,「同一の名田が他荘にもまたがり,同一氏が名主職(ないし地頭職)を帯していることは,畿内荘園の特色として注目されたが,九州地方にもこうした例の存在することは,名の成立を考える上にすこぶる興味が深い……荘園成立期以前に,松尾(大神)氏が大分郡司職等を帯し,各郷に広大な名田を経営していたものかも知れない」と説明する稙田荘に接する阿南荘には,松武名(本名など9名1村),松冨名・光一松名の3名がある両荘の接点の地名は,乾元2年5月の阿南庄松冨名中分状案に見える地名と合致するものが多い(大友文書/県史料26)それらの地名は,かつての東庄内村・南庄内村・谷村・挾間【はさま】村内に存在し,阿南荘松武名の中心とされる西庄内村・阿南村・由布川村との間に介在する形となっている以上のことから松武名は両荘にまたがる名ではなく,別個の名と考えられる地頭松尾氏について後藤碩田は,大神惟基二男太宰軍曹阿南次郎惟季五世孫松尾弥三郎惟光の子と比定している松武については,松武は武松の誤りで,高松ではないかとしながらも,府内城下町松末もあげているともに誤りである終見は文禄元年3月の写である稙田荘名々給人注文で,「一所三□五貫分寒田□,一所壱町かハら田石合」とあるおそらく天正年間の内容であろうと推察されるが,所在地比定に資する史料とはならない...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

松武名(中世)
鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡安岐【あき】郷のうち国東半島東部,現在の東国東郡安岐町のうちと思われるが現在地未詳正安2年8月2日,地頭志賀泰朝と小松雑掌公祐との間で作成された和与状に見えるのが初見松武名の年貢は,宮斗定米4石とあり,懈怠なく弁済するとの和与が成立している翌正安3年12月20日,松武名地頭職は泰朝の嫡子貞朝に譲与された(志賀文書/大友史料3)松武名は宇佐宮大宮司宇佐公敦が相伝知行する宇佐宮領であったが,宇佐太子で田原女房なる人物に神領興行下知などをそえて譲与している(同前4)建武元年5月1日には,宇佐氏女の当知行が後醍醐天皇綸旨のもとに安堵されている(同前5)文明17年7月の宇佐公永譲状によると,松武とあり,代々家嫡正流を以て相伝されたものであると見え,嫡子大宮司公保に譲られている(宮成文書/県史料24)終見は天文初期頃の10月17日,足立清兵衛尉に宛てた田原親董知行預ケ状で,松武のうちの「しやうしはた」2反を自訴に任せ預けると見える(足立文書/県史料26)田原氏の領主化によるものである...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

松武名(中世)
鎌倉期からみえる地名石見国那賀【なか】郡周布【すふ】郷に属す貞応2年3月の「石見国田数注文」(益田家文書/鎌遺3080)の那賀郡の条に「まつたけ 一丁七反」とみえるのが初見「松武名」としてみえるのは正平9年4月13日「左近将監某預状」(益什82)が最初で,ここではその面積が2町7反と記されている応永18年12月13日「足利義持御教書」(萩閥121)には「周布郷,付末元,松武」とあるその所在地は不明...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
59曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『アイスクリームの日、黒板の日』

日本アイスクリーム協会が1965(昭和40)年に制定。1869(明治2)年、町田房蔵が横浜の馬車通りに開いた「氷水屋」で、日本初のアイスクリーム「あいすくりん」を製造・販売したのがこの日です。当時はまだ高価な物で、1人前の値段は2分(現在の8000円相当)でした。一般に普及し始めたのは30年後だそうです。

今日の暦

月齢:1

月齢:1
月名(旧歴日):新月

・2024年(年/竜)
・5月(皐月/May)
・9日
・木
・Thursday
・大安

二十四節気:「立夏<
・a>」から<
・font>4日「
小満<
・a>」まで<
・font>11日


JLogos Now!!