ケータイ辞書JLogosロゴ 下甑(中世)


鹿児島県>下甑村

 鎌倉期から見える地名。薩摩国甑島郷のうち。建久8年の薩摩国図田帳に島津荘寄郡甑島40町内として「下村二十町 本地頭薬師丸」とある下村は下甑島(現在の鹿島村・下甑村)に当たる。薬師丸とは高城郡司武光高信のことで,高城郡を本拠として当地をも領していた。その後建長6年1月20日付関東裁許状によれば「高城太郎信久与小河宮内左衛門太郎季張相論薩摩国高城郡甑下島郡司職事」とあり,高城信久と小河季張が「高城郡甑下島郡司職」をめぐって相論をしている(高城氏文書/鎌遺7697)。甑下島とは図田帳に見える下村のことであり,高城郡内とされていることについては未詳。高城信久は図田帳に見える下村の地頭薬師丸(高城高信)の孫であり,高城郡司職を継承している。一方の小河季張とは,宝治2年地頭千葉氏の跡に補された甑島領主小川季能の子季直と思われる。信久は甑下島は重代相伝の地であるとして甑下島郡司職の領有を主張し,一方季張は新補地頭としてその領有を主張,鎌倉幕府はこの相論に対して信久の主張を認めず,甑下島郡司職は千葉氏以来地頭進止たることを裁決している。下って戦国期の「甑島諏方大明神ニ付頭役之□(事カ)」と題された諏訪神社神事由緒書には「下甑」「下之嶋」「下嶋」などと当地を指す地名が散見される(県史料拾遺)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7618412
最終更新日:2009-03-01




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