ケータイ辞書JLogosロゴ 太良院(中世)


鹿児島県>菱刈町

 平安末期〜戦国期に見える院名。大隅国菱刈郡のうち。島津氏譜の建久4年の条に「後白河帝詔,賜進士判官重妙大隅州菱刈院,是歳幕府又賜下文」として,菱刈氏系図に拠って「古者謂牛屎院・太良院,為菱刈両院」とあり,引用された文書形式の記事に「隅州太郎院七百余町」と見える(旧記雑録)。下って戦国期には,永禄12年8月26日の島津義久宛行状に「大隅国平院之内本城并曽木之事」と見え,島津義久が菱刈鶴千代(重広)に領知を認めている(菱刈氏文書/旧記雑録)。平院は保元年間の太良院のことであろう。菱刈家系譜重妙伝には「知行,本城・馬越・湯之尾・曽木以上は太良院,牛山・入山・羽月・平泉・山野以上牛屎院,これ両院の地なり」とあり,「忠元勲功記」には「さて菱刈両院と申す儀は,本城・馬越・湯之尾・曽木を太良院と相唱へ,即ち隅州菱刈郡の事に御座候,又大口・市山・羽月・平泉・山野を牛屎院と相唱へこれは薩州伊佐郡の内にて」とある(大口市郷土誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7618426
最終更新日:2009-03-01




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