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[最終更新日:2009-07-01/JLogosid:7699262]
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長江荘①(中世) 鎌倉期から見える荘園名南山荘とも称した長江荘は「和名抄」に見える会津郡長江郷が荘園化したものと推定される嘉元3年頃に作成された「御摂籙渡庄目六」(宮内庁書陵部所蔵九条家文書)に「長江庄」と見え,「弁別当経世朝臣」の注記があるところから,当荘は平安末期頃藤原氏の大学別曹である勧学院領として成立し,鎌倉末期には経世朝臣が預所職を与えられて管理を行っていたものと推定されるなお文治5年の奥州合戦の功により,下野【しもつけ】国小山氏の一族長沼宗政に源頼朝が当荘を与えたといわれる(会津若松史1)長江荘の初見は,正安元年12月6日の将軍家久明親王政所下文(園城寺文書/県史7)で,「陸奥国長江庄」と見え,鎌倉幕府が長江荘以下の地を長沼宗秀に安堵している正和元年4月14日の長沼宗秀譲状案(長沼文書/県史7)では,「長江庄内奈良原郷地頭職」を宗秀が庶子又五郎宗実に譲り,同22日幕府の安堵を得た宗実はこれを機に下野国から長江荘へ来住し土着したものと思われるが,元徳3年9月15日の長沼宗実譲状(同前)に,「長江庄内奈良原郷地頭職……まめわた(大豆綿),しなし(志那支)ハ長犬いち後の後ハ五郎高宗可知行,長田の村五郎とらほうしはんふんつゝちきやうして,いち後の後ハそうりやう高宗のかたへわたすへし」とあり,本領奈良原郷を与えられた五郎高宗を惣領とし,大豆綿・志那支の2か村は長犬の,長田村は五郎高宗と虎法師の半分ずつの知行とし,長犬と虎法師の権利は一期分と定められているしかし建武元年8月28日の後醍醐天皇綸旨(皆川文書/県史7)には,「長江庄南山内古々布郷・湯原郷」と見え,後醍醐天皇が長江庄古々布【くくぶ】郷・湯原郷の地頭職を下野国長沼庄にいる長沼秀行に安堵しており,下野国の長沼氏の惣領が建武年間にもなお長沼荘の一部を知行していることがわかる永和2年5月26日の長沼朝直譲状(長沼文書/県史7)に,「長江庄南山内 奈良原郷 大豆綿村〈しなし(志那支)を加〉長田村」と見え,長沼朝直が長江荘内奈良原郷・大豆綿村・志那支などを養子朝秀に譲ったが,美濃国と淡路国の所領は不知行とされており,長沼氏は南北朝期には長江荘の支配を強化せざるをえなかったものと思われるなお戦国期のものと推定される諸国旦那之大帳には「長江保廿四郷壱円」とある(米良文書/栃木県史史料編中世4)また長沼氏は田島村に鴫山城を築いて長江荘一帯を支配下におさめたと伝え(新編会津),長沼氏は南山殿ともよばれた会津地方南部,阿賀川(大川)上流域,現在の会津若松市大戸町,および南会津郡田島町・下郷町一帯に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江荘【ながえのしょう】 (中世)鎌倉期から見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
長江(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名摂津国豊島【てしま】郡のうち「吾妻鏡」建保7年3月9日条に「是摂津国長江倉橋両荘地頭職可被改補事」とあるのが初見3月8日,将軍源実朝の弔問のために後鳥羽上皇から遣わされた使者が北条義時に会い,当荘および椋橋荘の地頭職を改補するよう命じた院宣を伝えている同じく「吾妻鏡」承久3年5月19日条や「承久記」によれば,当荘領家職は後鳥羽上皇の寵姫で白拍子であった亀菊に与えられていたが,地頭が領家をないがしろにするという亀菊の訴えにより,上皇が地頭の改補を命じたとあり,この対立が承久の乱の原因の1つとなったとされるなお,史料的信憑性の高いといわれる慈光寺本「承久記」には「此所(長江・椋橋荘)ハ,故右大将家(源頼朝)ヨリ大夫殿(北条義時)ノ給リテマシマシヌ所ナレバ」などとあり,当荘地頭は北条義時であったとも推定される(府史)また,宝徳2年11月25日には伊勢因幡代景家が「惣持寺田長江之下地」を勝尾寺に寄進していることが見えるが(勝尾寺文書/箕面市史史料編2),この長江と当荘の関係も不明現在の兵庫県尼崎市と豊中市の一部を含むと推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長江荘【ながえのしょう】 (近世)江戸期に見える荘名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
長江村【ながえむら】 (近世)江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
長江荘(近世) 江戸期に見える荘名会津郡のうち属した村々は「会津風土記」によれば,小出・小野・大沢・湯原・沼尾・桑原・船子・芦牧・弥五島・白岩・田代・芦原・枝松・松川・原・木令・杉沢・南倉沢・音金・落合・赤岩・桃曽根・檜木原・塩生・張平・赤岡・赤山・小松川・中妻・本九々布・寺・沢入・大窪・水門・楢原・上添・小山・倉・岩本・刈合・成岡・萩原・板倉・小池・倉谷・永抜・安張・桑取火・磯上・志源行・石井・日影・原・戸石・赤土・桜山・中倉・大内・田島・新町・丹藤・長野・田辺・栗生沢・水無・永田・河島・中荒井・藤生・関本・糸沢・滝原・高野・下塩沢・上塩沢・福米沢・金井沢・大豆渡・黒沢新田・針生・熨斗戸・伊与戸・森戸・八総・井桁・精舎・岩下・戸中・押戸・角生・湯岐・湯入・水引・貝原・吉高・福渡・前沢・塩原・田瀬・介木生・小高林・木賊・河衣・穴原の104か村「新編会津」によれば上記に野際新田を加えた105か村現在の下郷町・田島町・舘岩【たていわ】村・会津若松市のあたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」